弓手原について
弓手原は、奈良県の最西端に位置し、北に利歌山県高野山、南に護摩壇山(標高1372m)をのぞむ、標高750mの高地であるが、周辺の集落に比べて比較的平坦地の多い所で夏は涼しい。地区総面積は約1300ヘクタールで山林および田畑耕地からなる山村である。
現在、世帯数18戸であるが、区有の古文書によると元禄年間には33戸あった。
また言い伝えによると、元禄2年に大飢饉があり、数戸の者は村外に移り住み、18戸になったともいう。明治28年頃には木地屋が移り住んだため22戸であった。現在の18戸は元より山林、田畑の耕地を有する者で、本戸として現在残る。土地を有してない者は時代の流れにより生活を求めて移住したが、昭和28年の紀和水害による一部の田畑の流失、また時代の進展に伴い、土地の不便と子弟の教育関係もあり次男坊達は都会に流出している。現在の常住人口は減少し約80名※である。
※奈良県指定無形民俗文化財 弓手原のオコナイより(昭和57年3月31日発行)
弓手原の起源
弓手原の地名は古文書より見ると「湯出原」とか「居出原」と記す書もありますが、言伝えでは、平家の一族で「古畑権の守」という武士が南方の古畑山(約900m)山頂から弓を放って、その矢の落ちたところに住みついたと言います。
元禄頃に現在の小学校の所にお堂を建て、その上の山際に氏神々社を祀っていましたが、火災で焼失したと言われています。その社内に保存してあった古文書や什器は焼失したので、それ以前の記録は無く残念です。
(和歌山県花園村新子の尾上角兵衛氏は、「権の守」とは村上義光であろうと言われております。)
弓手原の特色・魅力
集落の前には清流が流れ、綺麗な姿の淡水魚イワナが泳いでいる。このイワナは地元ではキリクチといい、川原樋川上流の水温の低い地域に棲み、日本最南端の棲息地(奈良県:「イワナの棲息地」として登録)として、県の天然記念物として指定されている。山と言い河と言い、実にのんびりした山村である。